2009年 08月 28日

カルタゴはなぜ滅んだか?今の日本に酷似

URLは後ほど
以下引用

長いコメになっちゃいますが、ちょっとカルタゴの事を書かせて下さい。
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、
完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として
日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。

カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、
戦争を放棄することになったカルタゴは、
戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、
戦後賠償も全てきれいに払い終えました。
しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、
結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、
祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、
平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。
しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、
自殺にまで追い込まれてしまったのです。

Commented by 一応援者 at 2007-07-23 08:29 x
(続き)
平和ぼけした市民は、
ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめて
ハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、
時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。
この間、たった3年の出来事でした。

ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、
その全てが奴隷にされてしまいました。
城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、
作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。

この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。

1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。
もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、
国内世論も「平和主義的」な論調が強く、
有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。

Commented by 一応援者 at 2007-07-23 08:30 x
(続き)
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。
そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることは
なかなか難しいものですが、
カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も
市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、
ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。

自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、
私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
>

日本と似すぎているカルタゴの運命
日本とカルタゴの対比

以下;歴史の玉手箱様より引用
 
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。

カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。

紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、
ローマ帝国と並ぶ強国となります。

BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。
そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、
23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)

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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。
西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、
朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。

強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。

1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。
太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。
象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。
ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。

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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。
インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、
イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。
ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。
カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。
BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、
戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。
本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。

カルタゴは、ローマに無条件降伏します。

全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。
軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、
ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)

そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。

ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、
戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。

カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。

日本列島以外の領土は、返還されます。
アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)
国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。
ともかく、本土決戦だけは避けられました。

日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。

軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。

戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。

BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。

無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。

焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。
エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。

アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。
戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。

10%を超す高度経済成長が続きます。
日本は、世界第二位の経済大国になります。

ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。

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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。
いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、
羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。

ローマの元老院の指導者カトーが叫びます。

カルタゴは、滅ぼさなければならない!(デレンダ・エスタ・カルタゴ)
◆◆割れんばかりの賛同の拍手が、議場に沸き起こります。◆◆
ローマの元老院議員カトー
「カルタゴは滅ぼさねばならない」というセリフで有名。
演説の最後を、必ずこの言葉で締めくくったとか。
個人的な恨みはなかったようなので、単なる偏執狂ではないかという気もするが、
彼のしつこさが、結局ローマ人をその気にさせた。


経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。
ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。
自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。

カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、
黒幕のローマはもちろん取り合いません。
ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。

ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。

ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。

驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、
300人の貴族の子供を人質に差し出します。
しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。

カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」と
ローマの司令官に聞きます。

「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。

カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、
2000の石弓を司令官に差し出します。

すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。

我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。

使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、
驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。

「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」

カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、
密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。


こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)

カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。
なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。

しかし、戦闘と飢えと疫病で、
20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。

そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。

カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。
カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、
BC146年こうして滅んだのです。



2000年以上の時を越えて、カルタゴ人は日本人に警告しているように私には思えます。

警告の内容は、人により異なると思います。

参考サイト;歴史の玉手箱様
http://members.at.infoseek.co.jp/J_Coffee/tamatebako.html


なるほど、似てますね。
特に「うまい事を言って軍備を解体させた後に
無理難題を押し付ける」ところなんざ
似てます。

引用ここまで


何も武器を持って攻めてくることだけが侵略ではありません。
今の日本は特定アジア(中、南北朝鮮)、特に中国人の人口侵略が続いています。
これらの国では幼少の時から日本人を憎むような反日教育を行っているのです。

そんな国々に媚び諂い、外国人参政権を与え、人権擁護法案で保護し、
防衛費を削減し、東アジア共同体を目指すなどと言う狂った思想の政党が
国民の圧倒的な支持で与党になろうとしています。

余りにもカルタゴに似ているではありませんか?

外国人参政権については次で。
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by kkagayaki | 2009-08-28 11:08 | 政治に関する独り言


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