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猫多摩散歩日記

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2009年 10月 07日

道徳教育を否定する民主党政権

今日も雨なのでPCの整理をしていたら、今は亡き阿久 悠さんの新聞記事が出てきました。
何年も前のものですが、世の中は益々おかしくなってきています。

「阿久悠 書く言う」

世の中が妙だっていうけど
意味もなく妙じゃなく
妙になった瞬間がある

 近頃の流行は「妙」である。ミョーと表記し、発音した方が実感できるのかもしれない。次々と起こる事件の、原因と結果に納得いかない。

 過去にも悲惨な事故、残酷な事件は数え切れないくらいにあったが、事情は呑みこめた。納得はしないまでも、そういうことか、しかしなあ、他の方法もあったろうに、と言う思い方も出来た。

 しかし、ここ何年かはそうではない。これでは殺人事件の裁判でいうところの、動機と殺意の有無などもほとんど無意味になってしまう。動機がなくても犯行に及ぶし、殺意がなくても人は殺す。もはや、動機と殺意が曖昧だからといって、罪を割引には出来ない状況になっているのだ。

 人々はミョーだと頭を抱え、その都度の対処法探しにキリキリ舞いしているが、それでは方策は見つからない。妙はぼくらがつくった。

 世の中のミョーは、小さい異変を見逃してきたことが積み重なって怪物化したものである。そもそもの小さい異変はたいしたことではなく、笑って済ませられる程度のことだった。でも、許してはいけなかった。許したためにいつの間にか寄り集まり、社会の価値観、人の美意識という背景を腐らせてしまったのだ。

 たとえば、小さな異変が誕生した「時」というものがある。その時を点にしてクックッと社会の直線が曲がってきたのだ。思いつくままに、その「時」を並べてみる。


『3Kという格付けを無神経にした時』
『少女売春を援助交際と言い換え、売春と交際を同義語にしてしまった時』
『父親不要の家族常識を笑いながら作った時』
『“詫びたら負け”、何があっても“ごめん”と先に言うなを生活の知恵にした時』
『“友だちのような関係”を善意っぽく美化した時』
『勤勉、真面目を、野暮、ダサいと笑いものにした時』
『死はリセットだと信じ込ませ、負けそうならとりあえず死ね、とゲームでその気にさせた時』
『万引きを万引き程度、恐喝をカツアゲごときという風潮にしてしまった時』
『ホリエモンを世紀の英雄に祭り上げた時』
『弱い者いじめの図式を芸として確立させ、それを“お笑い”と認知した時』
 
 ざっと頭に浮かんだものを書いただけでもこのくらいある。気がつかなかったが、その都度、これらの小異変で角度がついて曲がっていたのだ。

 これらの一つ一つは、常識化してしまって、何らの危険を感じないというのが実情である。しかし、無抵抗に受け入れて、こんなものは単なる流行廃れ、もしくは今様ですよなんて思っていると、とんでもないところへ乱反射し、社会を歪め、人を傷つけ、子らを闇の迷い子にしてしまう因となるのである。

数々の、その「時」に声を大にして、異を唱えなければならなかったのだろう。だが、大体が自分の事以外には無関心だったのではないか。
事が起きた時だけ大騒ぎするのが日本人の悪い癖である。

誰が声を大にして動いていたかと言えば『市民団体』なる左翼だけであった。
この組織が未だに子供たちに社会に悪い影響を与えているのだ。
「拉致問題」でさえも今では、関心のない人が半分以上だと言う。
悪いとは思っていても関心を示さない、考えない、行動ももちろん起こすことがない、この国はこのままいろんな「時」見逃したまま崩壊していくのだろう。

お笑いはエンターテイメントではない。テレビのバラエティーも芸NO人の
身内だけの楽しみになっている。心ある人は見なくなって久しいが、それでは駄目なのではないかと思えてきた。誰かが歯止めをかけなければものを考えない人間が今後も、大量に生産され続けるだろう。

  (阿久 悠=作詞家、作家)


なのに、民主党政権になったとたん、お金はばらまくが教育は悪魔の日教組のおもいのままに
進んでいるようです。このことは、こども手当や何とか手当に目がくらんだ、当のお母さんたちも
気づいていないし、お金さえあればどうでもいいことなのかも知れません。
これで、日本の学力の低下はさらに免れず、心の教育も後退することでしょう。


教員免許更新制廃止、学力テスト見直し、道徳教育廃止、日教組は高笑い!


「花うさぎさんの「世界は腹黒い」」

「心のノート」廃止も 民主反対で 背後に日教組の意向
文部科学省が小中学生に配布している道徳教育補助教材「心のノート」が、廃止になる方向だ。道徳心育成を重視した新教育基本法を踏まえた新学習指導要領実施に備えて今年3月に改訂されたものの、日教組の意向を受けた民主党が廃止を求めているためだ。子供の規範意識低下が指摘され、道徳心養育の重要性が増す中、民主党政権で教育は時代の要請に逆行する懸念がある。(小田博士)

 「心のノート」は、平成12年5月の西鉄高速バス乗っ取りなど、少年による重大事件が相次いだことを受けて、道徳教育を充実させるために文科省が作成。全国の小中学生全員を対象に、約500万部を無償配布している。子供の発達段階を踏まえ、小学校低、中、高学年用と中学校用の4種類がある。


 新学習指導要領の内容を反映した改訂版は、ページ数や記述欄を拡充した。小学1、2年向けでは、うそや悪口など「してはならないこと」をイラストで説明。中学では「日本人としての自覚」を見出しに掲げて、世界貢献の重要性を説いている。全学年で決まりを守る大切さを強調するなど、規範意識を自然に身につけさせる内容だ。



 一方、民主党は今年4月、文科省予算を検証した際に「全国配布は乱暴だ」などと問題視。7月に無駄撲滅のための政府全体の予算事業検証の中で、「廃止」と分類した。鳩山政権では、この予算検証を担当した国会議員がそれぞれ副大臣、政務官に就任した。


民主党が「心のノート」廃止を求める背景には、日教組が「道徳反対闘争」を繰り広げてきた歴史的経緯がある。日教組は3月にまとめた政策要求書でも「規範意識を重視した道徳など課題が多い」と批判している。「日教組の教研集会には人権教育や平和教育の分科会はあっても、道徳関係は一つもない。今でも『内心の自由を侵す』と反対している」(文科省関係者)というのが実態だ。


 道徳教育をめぐっては、安倍晋三内閣が設置した政府の教育再生会議が、教科書作成を含めた「教科化」を提言。文科省の中央教育審議会が教科化は見送ったものの、道徳推進教師の創設など道徳教育を強化することで決着した。

 日教組が反対している学力テスト、教員免許更新制度も新政権で見直される公算が大きくなっており、近年の教育改革路線が一気に後退する懸念が出ている。


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by kkagayaki | 2009-10-07 12:26 | 政治に関する独り言


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